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これまでの考察成果

【はじめに】

 

【研究の定義】

 

【遠隔ヒーリングから見えてきたこと】

 

【臨死体験者から学ぶ神の世界】

 

【天使との共同作業】

 

【W・ジェームズの法則】 

 

  

 

 

 

 

【はじめに】

 

 現在の私たちの社会においてヒーリングのメカニズムは、科学的根拠に基づく行為(現象)としては認められていません。


 しかしながら確かに存在し、そして古くから多くの病気やケガに苦しむ人々を救済してきたヒーリングは、研究者と能力者自身によって記録・分析されて来ました。


 当研究所が前提とするヒーリングの理論は、遠隔ヒーリング能力の保有者である私の見解と、ヒーリングを依頼されるみなさんとの実践の中で得られた成果によって、日々進化しています。


 つまり当研究所は、先人や多くの優れた研究者の方々が綴って来られた文献等を大いに参考にはしつつも、自らの活動の中で確かめられた事のみを「正式な見解」と認識する方針を取っているのです。


 無論、私はそうして得られた見解さえも科学的根拠や数式によって証明できる立場にはないため、当研究所の理論も社会的にはやはり、「非科学」と一蹴されても仕方がない地位にある事は十分に理解しています。


 しかし私は、ヒーリングを始めとした、古くから信じられてきた人間の潜在能力の実態は、多くの場合において、「非科学という単純かつ身も蓋もない理屈」だけで切り捨ててしまうにはあまりにも惜しいものであり、私たち人間にとって大変「価値のあるもの」と考え活動を続けています。


 もし、私たち人間が最新の科学や医学で証明し切れない現象を無条件で「非科学」としてしまうのならば、心身両面においてまだまだ無数の謎に包まれているはずの「人間」という自らの存在まで「非科学」と切り捨ててしまう事になるのです。


 人間の生命や精神の「しくみ」について、依然多くの事が未解明なままである現在において、特殊な能力の保有者とその能力の存在を肯定して受け入れる事のできる人は、既存の定義に沿った論理でしか物事を考察しようとしない天才よりも、遥かに優れた「発見者」になり得る事を私は信じて止みません。

                          

                       

 

 

【研究の定義】

 

 他の研究者様等の見解を参考にするようになる以前から漠然と思ってはいた事ですが、ヒーリングはその作用の仕方によって大きく2種類に区分されます。


 1つ目は、能力者自身の霊的エネルギーのみで行う「サイキック・ヒーリング」で、2つ目が、高次元の宇宙的エネルギーにアクセスして行う「スピリチュアル・ヒーリング」です。


  その効果については言うまでもなく、無限とも言える宇宙のエネルギーが加勢してくれるスピリチュアル・ヒーリングの方が、一人の能力者の力だけに頼るサイキック・ヒーリングよりも遥かに強力なエネルギーを引き出せる事になります。


 また、「手かざし」等で患者に対して直接行うヒーリングは基本的にサイキック・ヒーリングに留まり、遠隔ヒーリングの場合でのみ、時としてスピリチュアル・ヒーリングが成立するようです。


 一見、遠隔ヒーリングは、患者と直接対面して行うヒーリングよりも効果が劣るように思われがちですが、実際は対面式のヒーリングよりも高度な技術を駆使しなければ成立しない分、効果が劣るという事も決してなく、また、ヒーラーの能力以上の効力が引き出せるという点からも、遠隔ヒーリングこそが最も理想的なヒーリング法であると言えそうです。


 余談ですが、私の経験上も、ヒーリングが自分の実力以上の効果を発揮したと思えた事例を振り返ってみれば、それはすべて遠隔ヒーリングの状況下だったというのも事実なのです。

 

                       

 


【遠隔ヒーリングから見えてきたこと】

 

 自分にヒーリング能力がある事を発見してから、遠隔でのヒーリング能力をある程度修得できるようになるまでの間、私にとってその「能力」とは飽くまで「技術」でした。
 当時の私は自分にあると分かった「人に真似のできない特技」を更に極めようと、実に多くの本を読んで勉強し、スポーツの練習をする感覚で自ら考案した方法で修行に励んでいました。
 もちろん現在でもそのスタイルに自体には大きな変化はありません。しかし、友人の癌闘病を支援するために封印していたヒーリングを再開し、「検証成功」止まりだった遠隔ヒーリングを日常的に行うようになった頃から、「ヒーリング能力」そのものに対する自らの認識に変化が生じてきました。


 「遠隔ヒーリングを成立させているエネルギーには『意思』がある!!」


 そう思えてならなくなってきたのです。


 ネット上に「自宅療養研究所」を立ち上げ、お互いをよく知る身内や友人だけに止まらず、一度も会った事のない依頼者の方々と関わるようになると、その思いは更に大きくなりました。


 「遠く離れた所にいるはずの相手になぜできる?」


 そもそも「顔も住所も知らない相手になぜ届く?」


 「(ケースバイケースではあるにしても)なぜ、これ程の効果が出る?」


 といった具合に、目の前にいる相手だけに行っていた「サイキック・ヒーリング」では考えられなかった驚くべきレベルの実績が、次から次に生起するようになって、自分の意志と能力だけでそれが実行できているとは到底、思えなくなってきたのです。


 しかし、もちろんサイキック・ヒーリングを行ってきた中でも「宇宙のエネルギー」については意識していました。


 質の高いヒーリングを成立させるためには、「高い集中力」での「脳波の切替え」等が必要であり、その作業は「宇宙との融合」というイメージで実行していました。


 ただ、当初私は「宇宙エネルギー」の正体は、天文学上も既に通説となっている、全宇宙の質量の大多数を占める「ダーク・エネルギー」の一つと考えており、自らもこの広大な「宇宙の産物の一つ」である人間の思考は、特定の脳波の使い方によりこれらを意図的に操る事ができる可能性を持っているのではないか。という持論を保持していたのです。

 

                       

 


【臨死体験者から学ぶ神の世界】

 

 若干論点がシフトしてしまいますが、私は過去に「臨死体験」について勉強した事があり、その中で「神」という存在の正体に対して、(自分なりの)結論に達しています。


 古今東西、臨死体験をしたという人は非常に多く存在しており、その人々は生活環境や価値観、信仰している宗教に至るまでそれぞれが様々なスタイルの日常を送っていた事になるはずなのですが、臨死体験からの「生還後」に彼らが語った死後の世界は、「基本的構造が殆ど同じ」であるという調査結果があるそうです。


 しかし、興味深いことに、それらの世界の細部のビジョンについては、臨死体験者が個々に信仰している宗教の世界そのものであったという証言が目立つそうです。


 つまり、キリスト教の信者は臨死体験中に「光り輝く天使たちのいる、雲の上の美しい世界」を目の当たりにし、仏教の人は「三途の川と思われる川の先にある、色とりどりの花が咲き乱れる美しい世界」を深い幸福感に包まれながら旅した末に、その世界の人から「あなたはまだここへ来てはならない」と告げられ、自らの肉体へ帰還してきたと言うのです。


 これらの証言から想像できる仮説の一つですが、昔から語り継がれてきた死後(神)の世界は、時代や信仰に関係なく、ほぼ共通した要素(天国や地獄等)で構成されているという事と、その世界の細部については、人それぞれが信じる(信仰する)ものの姿となって表現されるのではないかという事です。


 つまり「神」という存在についても、結局のところ全て同じ存在を指すのであり、「宗教」という形は所詮、人間が作り出した「(人間社会のための)便宜上の形」に過ぎないのではないかということです。


 こんなスケールの大きなテーマについて、私ごときが勝手な憶測を語るのは痴がましい限りですが、敢えてそれをここで語る理由は、最新の科学が、存在することを認めながらも一切実態を観測することができないと言われている暗黒物質(ダーク・マター)や暗黒エネルギー(ダーク・エネルギー)の正体こそが「神の世界」であり、遠隔ヒーリングはその「神の世界の力を借りる事のできる手段」であると考えるようになったからです。


 「研究の定義」でも触れている事ですが、『高次元のエネルギーにアクセスして行うヒーリングを「スピリチュアル・ヒーリング」』と言い、私はその「高次元のエネルギー」の正体こそが「神の世界そのもの」であると考えているのです。


 無論、同じスピリチュアル・ヒーリングという言葉を使っても、その高次元の存在の実態については研究者によって様々な解釈があるため、ここで答えを一つに集約する事は困難であると思われます。


 しかし、だからこそ人それぞれが「自分の信じる存在」をそこに反映させて上手に付き合って行けば良いのではないでしょうか?


 多くの臨死体験者の証言が示しているように、神の世界は人それぞれの信念に合わせた姿を纏って人々の魂を受け入れてくれるのです。


 だから純粋な気持ちで神を信じる人は本当に神の力で守られ、悪魔を崇拝する人の前には本当に悪魔が現れて取り憑いてしまうのです。


 少なくとも私はそう信じています。 ^ ^;

 

                           


 

【天使との共同作業】

 

 スピリチュアル・ヒーリングとサイキック・ヒーリングは「完全な別物」であると考えられている研究者の方は多いようです。

 

 スピリチュアルレベルのヒーリングにおいては、ヒーラーの役割は単なる「媒体」に過ぎなくなるという見解からそういった結論となるようですが、私は(自分の経験から)それとは若干異なった見解を持っています。

 

 私の考える(少なくとも自分の場合の)スピリチュアルレベルのヒーリングは、ヒーラーと依頼者による「技術と信念」の成果に「高次元の存在の力」が加わった結果であると推測しています。 

 つまり、高次元の存在が「主導した結果」ではなく、「共同(賛同)した結果」であると考えているのです。

 

 もちろん、一般的な説を完全否定するつもりはありません。

 

 しかし、私は「神」という存在に「決まりきった形がない」と信じているためか、スピリチュアル・ヒーリングを成立させてくれる「高次元の存在」についても、同じように「様々な形であっていいはず」と考えています。

 

 それらの存在は一般的に「高級霊」とか「霊界の医師団」と呼ばれているそうですが、私は(私なりに)畏敬と親しみの念を込めて「リリス(天使)」と呼ばせていただいています。
 ちなみにヒーリングを始めとする宇宙のエネルギー全般については「フォース」と呼んでいます。

 

 何か映画かアニメの世界で聞いたようなネーミングですが、あまり深い意味はありません。
 自分が能力に目覚めてから活動を行ってきた中で、当初「取りあえず」と思って使っていた用語が、成り行きで定着してしまったという程度の意味合いです。^ ^;

 

 とはいえやはり、「高次元の存在に対して不謹慎では?」と思われても致し方ないのは承知しています。(_ _)

 

 ただ私はそういった存在とは、「神聖な存在(=近寄り難い)」という理由に託けて、自分がその力を必要とする時以外「距離を置いて付き合う」より、「身近な存在」として常に意識して付き合う方が、はるかに「誠実」であると思うため、敢えてそうしているのです。

 

 実際に、私は天使リリスから日常のすべてを監視されており、自分に「神の力を貸す資格」があるのかどうか、様々な場面において厳しく評価されているものと思っています。
 だから、リリス(天使)に味方でい続けてもらうためには、社会の平和やヒーリングを求める「人々の幸せを本気で考えられる」人間である事が大前提であり、また、自分の能力を私利私欲のために悪用しようとすれば、間違いなくリリスは自分から離れて行ってしまうものと肝に銘じた上で付き合っているつもりです。

 

 最も重要な事は、その「神の世界の存在」に対して、「表面的な敬意や形」に固執するのではなく、「本質を理解」した上で「信念と誠意を持って向かい合う」事だと信じています。^_^

 

                  

 

 

【W・ジェームズの法則】

 

 昔から超常現象等の研究者が、自分の見解を一般社会に証明しようとする際、必ずと言っていいほど直面する「壁」があり、その一つに「ウィリアム・ジェームズの法則」というものがあります。

 

 ウィリアム・ジェームズとは、超常現象の科学的研究に取り組んだ19世紀アメリカの心理学(哲学)者ですが、ジェームズ氏は超常現象の証明について、「何故そうなるのか理由は分からないが、超常現象とは、信じたい人にはそれを信じるに十分な証拠が出る一方、信じたくない人には否定するに十分な曖昧さが残る。ちょうど、そういうレベルの証拠しか出ないのが超常現象である」と語っています。

 

 実はこの「W・ジェームズの法則」が指摘するジレンマは私にとっても、能力に目覚めた当初から常に付いて回った非常に厄介な問題であり、実のところ長期に渡り能力を封印してきた原因の根本はそこにあったと言っても過言ではありません。
 
 私が持つヒーリング能力においても、それを信じて積極的に求める人々には目覚ましい成果が上がる一方、「そんな事ができるはずがない」といった懐疑的な先入観を持っている人には、効果が上がらないばかりか、ヒーリングのエネルギーそのものが感じ取れないといった、本末転倒な状況に直面したりします。

 

 こういった状況に対して超常現象の否定論者はよく、「暗示効果」という言葉を使って切り捨ててしまいます。

 

 つまり、ヒーリング等のエネルギーや効果の正体は、それ自体が思い込みによる「暗示効果」に過ぎないと言うのです。

 

 (感心すべき立場ではありませんが)もっともな理屈です。

 

 ただ、私はその「暗示効果」によって実現する「人間のパフォーマンス」の実態が、一方的に否定論側の「大儀」として利用される事には、かなり強引かつ胡散臭い印象を覚えます。

 

 なぜならば過去15年間ほどの間、私は自分自身の能力や「人間の潜在能力」の研究の一環で、「臨死体験」「幽体(体外)離脱」「催眠」等について文献等を読みあさり、自ら様々な体験や検証を行ってきた結果、その「暗示による効果」こそが「人が持つ無限の可能性の一つの形」であると考えるようになったためです。

 

 また、そもそもそれ以前に、最新の科学や医学の技術を持ってしても、まだまだ解析し切れていないはずの「人間の意識」や暗示のメカニズム等が「否定論の根拠」として掲げられるという事自体、よくよく考えてみれば、実は全く筋の通らない買い被った発想という捉え方もできないでしょうか?

 

 私は「W・ジェームズの法則」に示される「不可解なジレンマ」の多くには、「肯定論者」と「否定論者」の両者に対し、人間の「潜在能力」に先導された「暗示効果」が作用しているものと考えています。

 

 「信じたい人にはそれを信じるに十分な証拠が出る一方、信じたくない人には否定するに十分な曖昧さが残る」

 

 信じて求めている人は、自らの潜在能力を『自らの「意志(暗示)」により』覚醒させる事に成功し、信じず否定する人は、『自らの「意志(暗示)」により』潜在能力とその「アンテナ」まで封印してしまうのです。