2019.05.04 今日の朝日
戦士よ起ち上がれ!
私は28年間勤めて来た前職を個人事業(自宅療養研究所)の開業のために退職して現在に至っています。
これは前職時代の事ですが、私は業界内での個人戦略(自己アピール)のため、仕事とは別に10kmレースを中心とした民間のマラソン大会への参加に力を注いでいました。
「走り」に関しては私も所詮は素人なのですが、毎日根気強くトレーニングしてさえいればそれなりの実力は付いて来るものであり、私は自分の力でも何とか表彰台に登れそうな大会を目聡く選んではエントリーし、死にもの狂いで勝ち取った成果を積極的に会社へ報告していました。
しかし、現在の私は、数年前からの転職準備とその後の広範多岐に渡る新たな業務展開のため、過去に貯えた「走る体力」という、かけがえのない財産を維持するトレーニングの習慣を完全に失ってしまいました。
生きるための努力だけに日々忙殺され、自己啓発に目を向ける余裕が全く持てない毎日が今もなお続いているためです。
しかし驚くべき事に現在の私には、十数年前、マラソン競技において最も良い成果を出せていた頃と殆ど変わらない、引き締まった身体と体重・体脂肪率が復活しています。
つまり、「速く走るためのトレーニング」ではなく、日々の過酷な「稼業への従事」が、それと同等な身体への効果を生起させているのです。
現在私が副業で従事している仕事(運送業)の収入は、年収に換算すると前職時代末期の半分程度です。
しかもその労働条件は非常に厳しく、現在私は週休1日で、1日に実質18時間前後の労働従事が求められている上、週に5日も徹夜(仮眠3時間程度)しなければならないほど過酷な条件で働いています。
この現状は、単に目先の損得勘定だけで判断するならば、私が現在従事しているこの雇用は、本業を補う「副業」としては明らかに不適切であると判断出来ます。
しかし実際の所、私は全く後悔していません。
前職時代の私は、一つの業界に長く席を置き続けたためか、かなりの「世間知らず」でした。
高給取りではあっても、その報酬は、閉鎖的かつ不自由の多い業界の一員である事に対して支払われているものであると認識していたため、現在のような「歩合制」の報酬理念は無く、悪く言えば、その厳しさや苦労についても無知だったのです。
確かに今の仕事(副業)は、前職時代に比べれば多くの事は求められません。
しかし、その低収入かつ単純なはずの業務に日々求められるエネルギーは相当なもので、それがどれほど過酷なものであるのかは、週に5日も徹夜しなければならないような状況や、就職して僅か4ヶ月で、過去にも劣らない強靭な体力が身に付いている現状が物語っています。
私は「人生に無駄な経験は何一つ存在しない」と信じています。
つまり、人として生きているうちに経験する事は、例えその時は「道を誤った結果の苦労」と思う事はあっても、その結果向き合う事になる試練や経験は、必ず自分自身の魂が必要としているスキルアップのための「必然」であると信じているのです。
私は現在の副業をもう少し頑張ってみるつもりです。
ジョギングに汗を流せる日常を取り戻すのはその後でいいと考えています。
それは言うまでもなく、本当に賢明な視点で考えた私自身の「損得勘定の末」の結論です。
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