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「アダムとイブ」3


 ※フィクションではありません

 

 美香は大分以前から、自分がかつて「イブ」に該当する存在であった事を認識していたそうである。

 しかし、「だとすると、アダムは一体誰なのだろう?・・」

 これは美香にとって、長い間分からずにいた謎の一つだったという。

 

 その日、この宇宙で最も偉大な神から我々二人に伝えられた事実は、美香にとっては固まりつつあった、その「謎」の予想通りの答えであり、私にとっては、どう受け止めて良いかさえ分からない、衝撃的としか言いようの無い唐突過ぎる告知となった。

 

 私はその時点において「美香」という存在の神としての偉大さは既に十分理解していたので、彼女が「イブ」であったと言われても、もう疑問には思わなかった。

 しかし、だからと言ってこの自分が、あの古今東西世界的に有名な「アダム」であったと言う下りについてだけは、当然の事ながら、そう容易に受け入れられるはずがなかった。ほんのごく最近まで、自分を普通の人間だと思って生きて来た私にとって、自分が過去生の記憶を伏せて転生している「神」であるという事でさえ、本来であれば到底信じられない事のはずだった。

 

 しかし、それを私に教えてくれた「美香という存在」が、いつ如何なる状況においても決して「嘘」だけはつかない聖人であると信じられるようになって以降、私は彼女が教えてくれる天界の知識や、彼女が「媒体」となって伝達される神々の言葉は、基本的には真偽を疑う必要のない事実であると受け止められるようになっていた。

 

 ただ美香は、我々が「アダムとイブ」であったという事実を肯定しても、それが必然的にキリスト教の旧約聖書にある「アダムとイブの一連の物語」を全肯定するという事には繋がらないという結論も保持していた。

 よって、私が彼女にジョークも含めて「じゃあ今、人間たちが地球上で多くの苦悩を背負いながら生きなければならなくなったのは、元はと言えば、君と俺が悪さしたせいで神から楽園を追放されたのがきっかけだったってこと?」と聞いてみても、そういった童話のようなエピソードに対しては彼女は冷ややかだった。

 

 今まで別記等で何度も触れて来た事であるが、美香は決して「キリスト教徒」ではない。

 彼女は昨年の秋に私と出会った当初から「実際の神と宗教は全くの別物」であると、はっきり断言(※該当記事「天使の友人4~無欲の霊能者~」)し続けているのである。

 

 これは美香のそういった態度から推察した私の持論ではあるが、美香の語る「実際の神々や天界の話」が、所々キリスト教と似ていながら本筋の部分で大きく異なっているのは、「キリスト教」自体が、遠い昔から地球に舞い降りて人間たちに歩み寄って来た神や天使、そして美香のような救世主たちの純粋な教えを人間たちが「自分たちに都合の良い『宗教』の形にアレンジさせてきた結果」であると考えている。

 

 こういった見解は「キリスト教」を信じ、その信仰に人生を捧げている人々にとっては到底受け入れられない話であり、あまり強く主張すれば不毛な紛争にまで発展し兼ねないデリケートなテーマであるとも言える。

 よって、本来であれば、私ごときがこの場でそのテーマについて触れるべきでない事は承知している。

 実際に美香も今まで「宗教」に対して取って来た立場は、「自分は無宗教である」という中立的立場の一点張りであり、宗教に対して持つネガティブな見解は(仮に持っていたとしても)極力語らないようにして来たのが実情なのである。

 

 しかし、その実情を十分に理解しているはずの私が、今敢えてその「デリケートなテーマ」に言及しようとしているのは、今自分がここで「神月美香の生涯を懸けた体当たりの戦い」について世の人々へ語らなければ、彼女はただの「妄想に生きた精神病患者」で終わらされてしまうからなのである。

 

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