支援記事:『いつもありがとうございます』(「神月美香のブログ」2019.02.17.09:03公開より)
【支援の趣旨】
~ 以下本文 ~
私は、現世に生まれる前からずっと、宇宙から地球を見て来ました。
なぜ人々はこんなに泣いているのだろうか?苦しんでいるのだろうか?争っているのだろうか?・・
それが寂しかったのです。そして悲しかったのです。
可愛い赤ちゃんもいつか人を信じる事を忘れ、裏切りに合い、たくさんの悲しみを背負って生きて行きます。
弱者は精一杯生きています。強い者も精一杯それなりに自分の気持ちをしっかり持って生きているのでしょう。
それにしても本当に弱者の涙は悲しいですね。寂しいですね。弱者の涙は本当に可哀想ですね・・
強い者に弱い者が屈せられて生き死んでいく。弱い者が命を奪われているような世の中に平和は反映されているのでしょうか?
弱者が精一杯生きようとしている中で、その一生懸命生きている人たちを弱い者と呼ぶならば、きっとこの世の中には強い者など存在しないのだと私は思います。弱者は今日を必死に生きています。その必死に生きている者も強いと言えるのではないでしょうか?
そういう人たちを「弱い」と言うのは、いかがなものかと私は考えます。
何かの幸せに喜びを感じられる日々に、いつでも私たちは感謝しなければいけません。
大きな野望は悪を生み、欲望は罪を犯します。
どうかこの世の中が正しき道に進んでくれる事を祈ります。
信頼無き所に愛は生まれません。
他人が信じられなくなったような世の中では、平和はなかなか悪を挫く方向へ目を向けられません。
今の世の中がそうなってしまったのは、人々が心の弱さから流される事を覚えてしまったからなのでしょう。
でも、神様はみなさんを一切責めていらっしゃいません。
それは何故ならば、みなさんは神様の子供だからなのです。みなさんは神様の子供であり、その子供たちの母親こそ聖母マリア様なのです。
今マリア様が泣いているのは、可愛い子供たちであるあなた方が、嘆き苦しみ、涙を流しているからなのでしょう。
争いごとの絶えない世の中になってしまった今、この世の中で平和を語る事は困難です。
この中に正当な正しさがあるのならば、人を差別する事も争いを起こす事も無くなるのに・・それに気付かない事を悲しく思います。
人間は頭の良し悪しで価値が決まるものではありません。
人間は皆平等に権利があり、どんな人間にも愛される意味や人権があります。
しかしその人権にすら人々が目を向けない今、人を大切にしなくなった今、この世には信頼も愛も存在しません。
平和の中で生きていたいのであれば、そういう行動に目を向けなければいけません。
人に手を差し伸べる勇気。人の心を大切に扱う勇気。人を大切に思う心。人を正しく導こうと思う想い・・
そういうものが欠けている今、救われる人が少ない今、救うべき者が救われるべき者をしっかり救えていない今・・
いつか人は天(そら)へ還ります。でも人はいつになっても、死ぬ時まで孤独と向き合って生きて行かなければなりません。
それはなぜならば、人間がこの世で信頼できるものは、神だけだからなのだと私は思います。
人が嫌がる事をしてはいけません。人に殴られたのであれば、自分は殴らないようにしようとしなければいけません。
ただそれだけの事をどうか実行してください。
私たちは、この世の中に何を残せるのか?
私たちが残せる物は、自分自身の努力の結果とそれを精一杯やったという証。それ以外は残せないのです。
人が死んでも何とも思わない人が居ます。愛の無い人がたくさんこの世の中には居ます。悲しい事です・・
神様はいつもこう言います。
「頑張らなくていい。優秀でなくてもいい。ただ、自由に生きてその中で愛という物を感じ、愛を交換し合い、愛し合う事で愛は増幅し、この朽ちた星を生きる者の星へ開拓する事ができる。」
神様のこの言葉がどうかこの国に反映されますように。
争い無き、差別無き、戦争の無い時代にいつかなれるように祈っています。
ありがとうございました。
【 参考記事 】
『天使の友人』